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リクエストを(勝手に)引き受けて描いた作品。アスカがシンジを振り向かせる過程を描く作品だが、中盤はかなりリクエスト元と違って苦めになってしまっているのが難点。
ありがたいことにランキングに乗りました...
この国から四季はとうの昔に消え去っている。もう10月も近いというのに寿命を忘れたセミたちがけたたましく泣いているさまは、セカンドインパクト前の世界を知るものなら違和感しかないだろう。もっとも、いま並木道を歩く彼らには当たり前の景色ではあった。
「トウジの奴、最近昼ごはん一緒に食べようとしても先にどっか行っちゃうんだよ。」
この日、よほどいいことがあったのかシンジは珍しく饒舌だった。文句を言いつつも、口角が上がっている。隣にいるアスカは、こちらも珍しいことに言葉数は少なかった。
「それでさ、ケンスケと二人で聞いてみたんだ。」
「……そう。」
「そしたら、あの顔傑作だなぁ、真っ赤になりながらいうんだよ。委員長と付き合うことになったって。」
そこまで話して、一息ついた。シンジは穏やかな表情を浮かべて続ける。
「ほんとに、うれしいなぁ。」
「……そうね。」
「あ、そうだ。洞木さんの相談、受けてたんでしょ? なんで話してくれなかったのさ。」
「……」
「もし話してくれたら、こっちもいろいろ考えたんだけどなぁ。」
「……」
「あれ、アスカ?」
話の途中で無言になり始めたと思ったら、いつの間にか立ち止まって数歩後ろにいたアスカに気づいて、シンジはそちらを見る。彼女はうつむいて鞄を握りしめていた。
「どうしたの? おーい、アスカ?」
声をかけても返事をしないアスカの前まで戻る。顔の前に手をひらひらさせてみたりしたが、動かない。少し焦り始めたところで、ゆっくりと彼女が顔を上げた。その顔は、ほんのり赤くなっており、シンジはいまだ見たことのない彼女の顔を見て動揺する。
「どうしたの、アスカ。具合悪かったりするの?」
すこし噛みそうになりながら話しかけたシンジに向かって、まっすぐに目を見つめながら、一言一言をかみしめるようにアスカは口を開いた。
「あたし、あんたのことが、好きよ」
「な~んか最近、アスカとシンジ君の様子がおかしいのよねぇ」
「また面倒ごと? あなたが二人を引き取って暮らすって言いだしたんだからいい加減私に相談しないで解決しなさいな。」
わたしだって毎日データとにらめっこしなきゃいけないんだから、とコーヒーを口に含んで文句を言った赤木リツコは、言葉に反してにこやかな表情を葛城ミサトへと向けた。
「それで? 今度は喧嘩?」
「喧嘩っていうか痴話喧嘩っていうか……。なーんか雰囲気変わったのよね。」
「痴話喧嘩? いつの間にあの二人はくっついたの?」
「くっついた気配なんてないわよ、あったらさすがに気づくじゃない。」
原因に全く心当たりがない上に、二人が恋人になった様子も、派手な喧嘩をした様子もない。お手上げだ、といった感じでミサトは頭を振った。しかし、リツコはその違和感に思い当たるところがなく、視線を宙に浮かべながら聞き返す。
「そうねぇ。でも、昨日のハーモニクステストでは別に何ともなかったじゃない。」
「じゃあ、あの子たちがしゃべってるところを見た?」
そういわれると、確かにその通りだ。普段であればテストの休憩時には、少なからず生まれる会話が妙に少なかった事を、リツコは思い出した。
「そういわれるとたしかにそうねぇ」
「でしょ~?」
ため息交じりのミサトがコーヒーをすすろうとコップを傾けたが、中身は既に空になっていた。
「なんにせよ、昨日のテスト自体は特に問題なく終わったんだし、特に精神的なストレスがかかっているわけじゃなさそうよ?」
「まっねぇ。イライラしてるってわけじゃないのは確かだけどさ。」
「シンクロにも問題が出ない程度なら、別にいいじゃない。本人たちに聞くのもそれはそれで野暮ってものよ。」
そういってリツコは紙コップに残ったコーヒーを飲み切って席を立つ。休憩は終わりのようだ。
「それじゃ、私は実験データの懸賞があるから先に行くわ。……あんまり考えすぎるのもよくないわよ」
「ありがと。そっちも頑張ってね。」
ひらひらと手を振った後、自分も紙コップを潰してゴミ箱に入れ、資料をわきに挟んで休憩室を出る。
「まぁ、別に雰囲気悪いわけじゃないし、大丈夫よね。」
そういって彼女は目の前に迫る仕事に意識を切り替えた。
アスカの言っていることが、シンジにはよくわからなかった。音として聴覚を刺激した彼女の言葉を脳波受け取りはしたもののそこから先の理解が及ばなかった。顔を赤くして呆然とするほかなかった。
「ア、アスカ?」
「別に今返事がほしいわけじゃない。」
アスカはその青い瞳でシンジをまっすぐに見つめて、動揺した様子を意に介さず続けた。
「あんたにとってはただの同居人かもしれないけど、あたしはあんたのことが好き。」 「全然、意識してくれないから、もうこうやって伝えることにしたの。」 「これで少しは意識するでしょ?」
そういって見つめてくるアスカに、シンジは何も言えずに口をパクパクさせている。
「あたし、絶対あんたのことあきらめないから。覚悟しときなさい。」
凛とした声が、二人しかいない道で美しく響いた。そこまで言ってアスカは、シンジが口を開く前に家に向かって残りの道を走り出した。それを目で追うしかできなかったシンジは、しばらく呆然としてその場から動けず、やっと思考が追いついた時になって、一体自分がアスカから何を言われたのか完全に理解した。
「うぇ、いや、へっ……うぁぁぁぁ~……」
口から漏れる変な声を抑えられずに、ぼーっとした様子でアスカに遅れること半刻ほど立ってようやくマンションへ向けて歩き出したシンジは、一体どんな顔をして家で過ごせばいいのかわからなくなってしまっていた。
一方、先に走り出し部屋へとたどり着いたアスカも、枕に顔を押し付け顔を真っ赤にして叫んでいた。
「あああああああ! 言っちゃった! どうしよう!! 言っちゃったよ!」
そういって足をバタバタさせる。足元にあったプリントがぐしゃぐしゃになってしまったがそんなことを気にしている余裕は彼女にはない。しばらくして落ち着いたのか、枕から目元だけを出して体育座したアスカは、ぽつり、つぶやく。
「ヒカリもこんな気持ちだったのかな……」
つい先日、隣に寄り添ってくれる人を手にした親友のことを思いながら、シンジが帰ってくるまでの間に心を落ち着けることにした。
「こうなった以上は徹底的にやるわよ、アスカ。」
その夜の食卓、ミサトも定時に上がっており、久々に3人でそろって食べる食事だった為、ミサトは上機嫌にビールをあおっていたが、目の前に座る少年少女の様子が普段とはまるで違うことに気が付いた。少女は不機嫌とは言えないが、不気味に沈黙を保っているし、少年はそわそわして落ち着かない。おまけに少年のほうは、めったに作ることのない切り傷をいくつも左手に持っていて絆創膏でおおわれた指が非常に痛々しい。床にいるペンペンはそんなことなどお構いなしに皿に顔を突っ込んでいる。
しばらく誰もしゃべらない食卓に徐々にしびれを切らしたミサトは、思い切って直球な質問をぶつけてみることにした。ただし、多少のユーモアも忘れていない。
「あなたたち、キスでもした?」
「ふぇっ?!」
「するわけないでしょ! バッカみたい!!」
どうやら、何もない、という本当に不気味な現象ではなく、何かしら原因となりえる現象はあるらしい。が、追求される前にシンジが先手を打った。
「ミミ、ミサトさん、明日から週番なんで僕もう寝ますね! ちょっと今日はお皿洗いのほうよろしくお願いしますそれじゃあおやすみなさい!」
かなり動揺していたのか、どもりながら話の初めから終わりまでほとんど一息でしゃべりきって足早に部屋へと戻ってしまった。
「じゃ、あたしのもよろしく。文句は許さないわよ。あたしも週番だし、そもそも今度の出張の分だけ家事の回数多めにするって言ったのもミサトでしょ?」
「ま、まぁそうだけど……」
「それじゃお休み~」
もう一人の当事者も有無を言わさない態度で理論武装を施したのちにこちらも部屋へ戻ってしまった。そんな二人の様子を不思議な表情で見つめていたペンギンは、リビングの出口と家主の顔を交互に繰り返していた。二人の反応から少し面白いからかいのネタができたと思っていたミサトも、そんなペンペンと顔を合わせて二人が消えた廊下を見ていた。
「どーしちゃったのかしらね、二人とも。まだ19時だってのに。」
一週間後、ミサトが松代へと出張していくまでの間、シンジは常にそわそわし続け、アスカも不機嫌でも上機嫌でもない、不思議な沈黙が保たれていた。
松代へ向かうVTOL機の中でリツコがミサトへ話しかける。
「そういえば、シンジくんとアスカの様子はどう?」
「あれからぜーんぜん変わんないわよ。まぁ別に妊娠したとかじゃないっぽいわよ。」
「あら、そこまで進んでたのね。」
さらっと話したことを受け入れるリツコに、ミサトは呆れと焦りが混じった声で訂正する。
「じょーだんよじょ・う・だ・ん。二人ともなーんにもしゃべんないし、なんか聞いちゃいけない雰囲気だしてるからどうしようもないのよ。」
そういって窓枠に肘を着けて頬杖を突く。そんなミサトに、リツコは淡々と続ける。
「ところで、ちゃんと加持君に頼んだでしょうね? 二人の監視役。」
「当然でしょ、しっかり頼んどいたわよ。」
少し噛みつくように返した後、窓の外を眺めながらミサトはつぶやいた。
「ほーんと、どうしちゃったのかしらね。」
「えぇ! それからなにもしゃべってないのぉ?!」
「そんな大きい声出さないでよ、恥ずかしい……」
ちょうどミサトがVTOLに揺られて松代を目指していたそのころ、お昼休みの屋上ではここ一週間ほどそろうことのなかった二人がそろってお弁当を囲んでいた。当然のことながらヒカリは自身が朝作ってきたお弁当だし、アスカはシンジが毎朝作っているお弁当である。
「でも、そんな大見得切って何もしないんじゃあ碇くんもわけわかんないと思うわよ?」
「そんなこと、言われなくてもわかってるわよ。どう話しかければいいのか全然わかんないし、うちではミサトがいるから話しづらいだけ。」
「……アスカって案外、意気地なしなのね。」
いじいじと箸の先で卵焼きをつついているアスカに向かって半ば呆れたようにつぶやくヒカリだった。
「いい加減避けたりしてないで、ちゃんと碇くんと話したほうがいいわよ?」
「うん……。」
「この間、相田君から聞いたんだけど、碇くんの下駄箱にラブレターはいってたみたいよ?」
「うん……えぇっ!!!」
「碇くんだって顔も悪くないし、エヴァのパイロットだってことでいろんな子が興味持ってるんだから。早くしないととられちゃうわよ。」
そういって、中断していたお弁当の続きに箸を伸ばすヒカリだったが、その隣でアスカは、驚きと羞恥心と、何より焦りから余計に箸が進まなくなってしまったのだった。
「そんで? まだ惣流に返事してないんか?」
「うん……。」
「うん、じゃないよ碇、もう一週間以上経つんだろ?」
こちらはテニスコート裏の芝生で、久々に三人そろって昼飯を食べているいつもの三バカトリオである。変わったところと言えば、食事をとる場所も変わったが、シンジの弁当箱を持つ左手は痛々しく絆創膏が何枚も張られていることと、トウジの手元にはヒカリからのお弁当が携えられているところだった。残念ながらケンスケには変化がみられない。
「公衆の面前、道のど真ん中で告白するなんて堂々としてるよなぁ。碇も早いとこ返事しなきゃ、男だろ?」
「うん……。」
「さっきから”うんうん”唸ってないで、はよう今日の放課後にでも約束を取り付けんかい!」
「でも、どんなことを言えばいいのか全然わかんないよ。これまでアスカがそんな風に思ってくれてたなんて想像もつかなかったし、僕にとっては大事な仲間って思ってたから……。」
「それでも、悪い風には思ってないんだろ?」
「まぁ……。」
「はぁ、センセも意気地なしやなぁ。エヴァに乗って戦ってる時とは大違いや。」
二バカたちは親友たるシンジに対して呆れたようにそれぞれが言葉をかける。
「それに、アスカのほうが最近僕のことを避けるんだ。もう、余計にどうしたらいいかわからなくて……。」
「そりゃ、愛想つかされたんとちゃうか?」
「やっぱりどっきりとかだったんじゃない?」
「そう、かな。やっぱそうだよね……。」
「センセも真に受けて暗くなるなや! とにかく、今日からミサトさんも出張で家におらんのやろ? しばらく二人だけになるんやし、バッチシ話しておかへんと余計キツうなるで。」
さすが彼女ができたやつはいうことが違う、と、シンジとケンスケはまぶしいものを見る目でトウジを見ていた。しかし、ケンスケの目の端には、ほんのりと涙が零れていたのを、気づく者はいなかった。
家路をたどるシンジの足取りは重い。担任の先生に呼ばれ仕事を頼まれていたシンジは今、一人、夕焼けに染められた赤い道を歩いていた。今日からの一週間、ミサトが松代へと出張することになっており、例の事件以降はじめて、アスカと二人っきりの状況が出来てしまうことが、シンジにとっては今は恐怖だった。
「ほんとは加持さんが来てくれる予定だったんだけどなぁ。」
そもそもこんなに長く二人っきりになることはなかったはずだった。いつかの晩のように、加持リョウジがやってくるはずだったからだ。ここ数日の状況の良き相談相手であった加持が来てくれると決まった時、本当に心強く感じたあの喜びもどこへやら、つい先ほどかかってきた電話によってシンジの気分は地の底へたたき落された。
その加持からは、
『少し野暮用ができたんでやっぱりそっちには行けなくなった。シンジくん、本当にすまない。まぁ、シンジ君ならアスカも安心だろう、何せ、良くも悪くも慎重だからね。ただ、鈍感すぎるのも罪だぞ。それじゃ。』
と電話を切られてしまったため、アドバイスを受けるとか心構えを聞くとか言ったことはまるでできなかった。ミサトが帰ってくるまでの一週間、自分は無事でいられるのだろうか? ひたすらにシンジは、自分の気持ちの整理と、それをどうアスカに伝えるか、それだけを考えてマンションへと歩いて行った。
(僕にとってアスカって、なんなんだろう? )
自問自答してみるシンジの頭には、アスカの様子が思い起こされている。以前、同じように思い起こしてみたことがあった。その時のアスカは、プラグスーツを着ていて、勝ち気で、プライドが高い少女だった。人一倍努力する、頼もしい仲間で、友達で……そして、心を許せる同居人だった。さて、今はどうだろうか?
はじめは、黄色のワンピースを身にまとった姿だった。直後に左頬に紅葉が浮かんだ事も忘れてはいないけれど、今ではいい思い出だった。それから、プラグスーツの彼女。いつも罵倒されていた。でも、近頃は可愛らしい様子を見せることも多くなった。そして、あの日の告白。今でもドキドキする。
(だんだん、アスカのことが好きになってく、僕がいる。)
もともと彼女は美しい。性格だって、きついところはあるが、接していれば彼女のなりのやさしさを持っていることがわかる。そんなアスカから、告白された。きっと、いや、本心ではとてもうれしい。
半面、複雑な気持ちになった。アスカのことは嫌いじゃない。むしろ好きだと思う。結局、振り回されていても彼女といるのは楽しいから。しかし、それは仲間としてだった。それがほんの一週間で、こんなにも彼女のことで頭がいっぱいになってしまっている。こんな都合のいいことを言ってもいいのか。罪悪感が心に染み出していく。この一週間、考えに考えた。
(でも、引き金を引いたのはアスカだ。)
そんな都合のいい、だらしない気持ちだけれど、ありのままの思いを伝える覚悟が、シンジの心に芽生えた。そもそも、先に仕掛けてきたのはアスカのほうだ。
「とにかく、しっかり向き合えばいいんだ。」
ほんの少し上向いた気持ちを胸に、シンジはあの日よりも少し暗く夕陽の陰った道を、マンションに向かって歩き始めた。
一足先に家に帰っていたアスカは、自室で鏡に向かって顔をほんのり赤く染めながら、覚悟を決めた顔をしていた。新調した下着と部屋着が畳まれてベッドに置かれている。一方的な告白から一週間、シンジからのアプローチもなければ、アスカからのアタックもまるでなく、国交断絶こそしていないものの冷戦状態に陥っていた。
手元の携帯電話が鳴り響く。手に取って耳に当てると、親友の声が聞こえた。
『もしもし、アスカ?』
「ヒカリ、どうしたのよ急に電話なんてかけてきて。」
『どうしたのって、今日からでしょう、碇くんと二人っきりになれるの。』
そういわれて、ただでさえ赤らめていた頬がその色を濃くしていく。
『告白して、振り向いてもらおうって覚悟決めたはいいものの、ミサトさんもいるし恥ずかしくかなっちゃってなーんにもしゃべれなかったんでしょう?』
「う、うん……」
『加持さんに根回ししてせっかく二人きりになれる状況まで作ったのよ、今日こそちゃんと返事もらいなさい、いい?』
今日からの一週間、ミサトに頼まれて加持がこの家にやってくるはずだった。シンジにとっては援軍であったが、アスカにとっては覚悟を揺るがす邪魔モノだった。
「言われなくてもそのつもりよ! ただ、ちょっと勇気が出ないだけ。」
『もう、アスカったら……。』
「とにかく、あたしも覚悟を決めたわ。ヒカリだって勇気出したんだもの、あたしにだってできるわよ。」
『うん、頑張ってね。』
「それじゃ、そろそろあいつ帰ってくるから。切るね。ありがとう、ヒカリ。」
『うん、報告、楽しみにしてる。』
電話が切れ、プーッ、プーッと電子音が聞こえる。その音を聞きながら、アスカは数日前の事を思い出していた。
「かーじさんっ! ちょっと相談したいことがあるんだけど、二人っきりになれるところ行きたいなぁ♡」
「あぁ、アスカか。なんだい? 相談事って?」
「んもう、ここじゃ誰かに聞かれちゃうぅ。」
「わかったよ、それじゃあ少し上に出よう。誰も来ないとっておきの場所に案内するよ。」
実験が終わった後、シンジがリツコに呼ばれている間に先に着替えて加持のもとへ向かったアスカは、特に変わった様子もなく相談を持ち掛けていた。本部施設からジオフロントの地底湖のほとりへと出るエスカレーターに乗りながら、そのまま他愛もない話をつづけている。エスカレーターを乗り継いでたどり着いたスイカ畑は、収穫を終えてしなびた蔓だけが残っていた。
「季節が変わらないから一年中育てたってかまわないんだが、なんとなくこの時期になると育てるよりも来年のために畑を整えたくなってね、今は何も植えてないんだ。」
「この間ミサトが持ってきてくれたから、加持さんのスイカ食べたわよ。ほんとおいしかった。」
そこで会話が途切れる。少し間をおいて、畑を眺めてアスカに背を向けていた加持が、振り返ってアスカに質問した。
「さて、ここまで来て相談したいことっていうのはなにかな?」
口ではそう聞きながらも、その答えに想像はついているようでにやけている。
「今度、ミサトの出張中にうちに来るの、やめてほしいの。」
「シンジくんはなんて言ってるんだい?」
「何も言ってない。お願い、加持さん。何も言わずに一週間二人っきりにさせてほしいの。」
真剣な目で見つめてくるアスカに、にやけた顔を正して、穏やかな笑みを浮かべて加持は答える。
「変わったな、アスカ。」
「……ヒカリが、友達が勇気を出して告白したの。」
「それで、アスカも?」
「意外でしょ?」
「まさか。むしろようやく、心を預けられる人を自覚できたようで安心したよ。」
そういって、足元にあったじょうろを拾い、アスカを促して蛇口のある位置へと向かう。
「安心したって、どういうことなの?」
「言葉通りさ。アスカは、誰にも頼ることをしていなかっただろう? 俺も含めてな。」
「……」
「まぁ、気が付かなくて当然さ。君のバックボーンには、誰よりも深い闇がある。ある意味、君を支えられるのは、シンジくん一人かもしれない。」
汚れたじょうろを洗いながら、黙ってしまうアスカにぽつぽつと話し続ける加持。アスカは、そんな優しい加持に、感謝の気持ちを持った。
「ありがとう、加持さん。」
「いいってことさ。その代わり二つほど約束してくれないかな?」
「いいわよ。もちろん、あたしにだってできることとできないことがあるけどね。」
アスカに向き直り、真剣な顔をしていう加持に、同じようにアスカも真剣なまなざしで返す。
「一つ目。これは当然、アスカならわかってることかもしれないが、友達が恋人を手にした事をうらやましく思ったからといって、シンジくんの気持ちをもてあそばないことだ。もしそういう気持ちが少しでもあるなら、俺は約束は守らず君たちの家へ行く。」
「……そんなんじゃないわ。絶対に違う。あたしはどんな手を使ってでも、あいつが欲しいのよ。」
「それはお熱いことで。そのぶんなら一つ目はちゃんと守れそうだな。」
ほんの少し微笑んで、加持は口調を穏やかにする。アスカは、その微妙な間が少し恥ずかしく感じて、先を促した。加持は、まるで父親のようなまなざしで、アスカにもう一つの約束を課した。
「それで、もう一つはなにを?」
「幸せになること、だな。」
回想しながら、部屋を整えシンジと向き合うために不必要な不安を取り除いていく。ベッドのホコリを払い、空調をきかせておく。昨日、ヒカリの家で教えてもらいながら作り、寝かせておいたタネを使い、ハンバーグの形にして火をかけ、夕食を用意する。
(大丈夫、きっとおいしいって笑ってくれる。)
親友が、想いを成就させた。 覚悟を決めてジャージ男に想いを伝え、幸せをかみしめる姿は、相談を受けていた友人として、本当に心が温まった。それを見て、自分もこのもやもやとした不思議な思いにケリをつけたくなった。素直になれない。でも、彼が誰かのものになることを想像したとき、沸き起こった憎しみのような感情に耐えられなかったのだ。
シンジはまだ帰ってこない。今日の帰り際に、担任に呼ばれたのを見ている。きっと律儀に手伝いをしているのだろう。おかずは全て用意できた。炊飯器にお米を用意してスイッチを押す。
(ご飯の準備はこれで良し。後は、シャワーを浴びて汗を落としておかなきゃ。)
シンジに告白してから、本当だったら、もっと優しく、素直に接しようと思っていた。これまでつらくあたっていたぶん、振り向いてもらうために努力するつもりだった。ところが、こういう時に限って定時に上がってくるミサトがいるおかげで、羞恥心が芽生えてしまって、話せなくなってしまった。中途半端な覚悟が、シンジとの距離を大きくしてしまった。
シャワーを浴びて、身を清める。さっきクーラーをつけておいたから、これ以上汗をかくことはない。いつもよりも念入りに、丁寧に。これまで失ってきた分、絶対に失うことのないように。必要な準備は怠らない。
(こんなに準備しても、きっとあいつのことだから気づかないかな。)
加持さんはこない。彼は憧れであって支えとなってくれた人ではあるが、決して心の飢えを満たしてくれる存在ではなかった。もうじきやってくる、一見さえない、弱い心を持った優しい少年こそ、アスカの飢えを、求めた温もりだった。どんな手段を使っても、卑怯だとののしられたとしても、彼がほしくなってしまった。
「もう、何も失いたくないもの。」
念入りに髪を乾かして、櫛をいれてとかす。真新しい部屋着をまとっていく。後は、帰ってくる人を待つだけになった。するべきことをすべて終えてしまったせいで、むしろ心臓が高鳴っていく。
「大丈夫、きっと大丈夫よ、アスカ。」
NEON GENESIS EVANGELION episode: Mey Be Possible Girl's Unrequited Love
「たっ、ただいまっ!」
玄関に響く声は、心なしか震えている。シンジにとって今日の玄関は、心持の面でも、状況の面でも違和感と緊張感があった。今日からアスカと二人きりで過ごさなければならないことや、アスカに自分の気持ちを伝えようと覚悟した緊張も大きな要因だが、普段は家に帰るとまとわりついてくる熱された空気と蒸れた風が、今日は涼やかな風となって通り抜けてゆく事も一因だった。
「おかえりなさい。」
リビングから吹いてくる涼しげな風の向こう側から、いつもより少し弱く、アスカの声が聞こえた。見慣れない真新しい部屋着に身を包んで、シンジをまっすぐと見つめてくる。
ふわり、と空調の風に乗ってたなびいた髪を耳にかけるしぐさが、いや、アスカそのものの美しさを目の当たりにして、シンジは冷えた汗も気にならないほど彼女をじっと見つめていた。アスカもその視線を正面から受け止める。時間が止まったと勘違いするほど長い間見つめあっていた二人だったが、アスカがさきにその均衡を破った。
「今日はあたしが晩御飯作っておいたから。一緒に食べよ。」
「う、うん……。」
しばらくしゃべることも忘れてアスカに見入っていたシンジは、唐突にしゃべりだしたアスカが何を言っているのか理解しないまま返事をして、自分の物置へと入り、荷物を置いて部屋着を準備した。なんとなく、普段あまり着ていないきれいなものを選んでおく。シャワーを浴びるためにリビングを通るときに、台所で小さな鍋をかき回しているアスカを見て、改めて現実に起こっていることを理解したシンジだったが、なんと声をかければいいかわからなかった。ひとまず、シャワーを浴びる旨を伝える。
「あの、アスカ?」
「お風呂なら湧いてるわ。」
「そ、そっか。ありがとう。それじゃあ、浴びてくるね?」
「もう少しでご飯も炊けるわ。上がったら晩御飯にしましょ。」
「うん……。」
別に怒っている様子はないのに普段のアスカより丁寧な言葉で、そして背中からはどことなく優しげな雰囲気が出ていることに、シンジは戸惑いを隠せず、単調な返事しかできなかった。
体を洗い終わって、お湯につかる。シャワーヘッドからぽつぽつと垂れるしずくを見ながら、シンジはぼんやりと考えた。本当だったら、家に帰ったらアスカを呼んで、真っ先に話してしまうつもりだったのに、普段とは全く違うアスカの行動に驚かされて、そして、改めて彼女の美しさに触れてしまって、自分から気持ちを伝える機会が完全になくなってしまった。
(アスカもアスカなりに緊張しているのかな。)
それでも、告白された以上は、返事をしなければいけない。いや、徐々にシンジはその発想が変わっていくのを自覚していた。
(今日のアスカ、すごいきれいだったな……。)
今シンジは、アスカがしてくれた告白に対して、返事をしたいと強く思うようになっていた。
(都合がいい考え方かもしれないけれど、今はアスカに伝えたい。)
湯船から体を上げる。滴り落ちる水滴を払ったあと、バスタオルで体をぬぐって髪が含んだ水分を抜いていく。脱衣所にはおいしそうなにおいが漂って来ていて、アスカの努力がうかがえた。服を着て、一つ深呼吸をしてからリビングへと足を進めると、食事の準備を終わらせたアスカが既に机に座ってシンジを待っていた。ミサトがいないので、別に正面の席に座ってもいいはずなのに、アスカは律義にシンジの隣、このいつもとは違う雰囲気の中、いつもの場所でじっと待っていた。ちなみに、ペンペンは先にアスカから晩御飯をもらって既に冷蔵庫に入って眠っているらしかった。空になったペンペン用の皿が、流しに出されている。
「ごめん、お待たせ。」
「用意はもうできてるから、おなかすいたでしょ? 早く食べよ。」
「うん、わかった。」
そういって席に着き、二人で手を合わせて、小さく「いただきます」とつぶやいた。シンジは夕食に手を付ける前に、きれいな焼き目の付いたハンバーグと添えられたサラダ、おいしそうに湯気を立てる味噌汁、少しいつもより硬めに炊かれたご飯を見て、おいしそうにできてるねと伝えようとアスカのほうを向いた。しかし、既に箸を手に取り味噌汁を飲もうとしているアスカの左手に、いくつか絆創膏が張られているのに気づいて、のんきな言葉が引っ込んでしまった。
「……アスカ、ありがとう。」
「ん、なによ。急に改まって。」
「晩御飯、とっても美味しそうにできてるよ。」
「……そう。そう思うんだったら、ちゃんと食べてからまた感想を教えてちょうだい。」
そういわれて、改めて箸をとって食べ始める。サラダは自分で勝ってきた野菜を刻んで作ったようで、出来合いのものよりもほんの少し鮮度がいい気がする。続いてハンバーグ。シンジが自分で作るモノよりも多少味は落ちるかもしれないが、十分おいしく感じられた。普段料理をしないアスカが、隠れてどれほどの努力をしたんだろう、とうかがえる。味噌汁もしっかり出汁がきいている。普段はあまり使わないかつおだしのようだ。米も普段よりは硬いが、むしろ歯ごたえがあっていい。非常においしい、心温まる晩御飯だ。
「ほんとにおいしいよ、アスカ。」
「そう?」
「うん、ほんとにおいしい。」
「……なら、頑張った甲斐があったわ。」
「うん。アスカがこんなに料理ができたなんて、知らなかったよ。ほんとにおいしい。ありがとう。」
「いいから、食べきっちゃいなさいよ。」
「うん。」
そのまま二人、特にしゃべることもなく黙って食べ切った。しかし気まずいという雰囲気はなく、黙っていながらも温かい雰囲気がほんのりと流れていた。
ほんの少し早く、シンジのほうが食べ終わった。箸をおいて、手を合わせた。
「ごちそうさま。ほんとうにおいしかったよ、ありがとう。」
席を立って、食器を洗おうとすると、その時になってアスカも食べ終わって、パッと自分とシンジの食器をまとめて先に流しに向かった。驚いたシンジに、いたって自然に食器を洗いながらアスカは言った。
「今日はあたしがやるから、先にテレビでも見てて。」
「いや、いいよ。僕がやるって。」
「いいから。あたしにやらせてよ。」
お互いに譲らずにいたが、シンジが妥協案を出した。
「じゃあ、アスカが食器を洗って。僕が拭くからさ。」
「……わかった。」
二人は並んで、それぞれの役割を果たしていく。穏やかに、時間が流れていく。一枚一枚、一人分いつもより少ない食器たちを洗って、拭いて、洗って、拭いて、繰り返していく。残りの枚数が少なくなっていくにつれて、お互いがそわそわし始めた。なにかを言いたいような、言い出せないようにちらちらと横目でお互いをうかがう。そうやって最後の一枚になって、二人はほとんど同時に声を出した。
「シンジっ」
「ア、アスカ」
その声にお互いが驚いて、その時に二人の間にあった食器はつるりと二人の手を離れ、床と衝突した。リビングにガシャン、という音が響いて、一瞬前まで食器だった陶器の破片が散らばっていた。
「ご、ごめん! 今片付けるよ。もしよかったら新聞紙を持ってきてくれないかな。」
すぐに我に返ったシンジがかがんで床に手を伸ばし、丁寧に拾い始める。それをぼーっと見ていたアスカもはっとして、ゴミ箱の隣に置いてあった古新聞を取り出し、使いやすい枚数分とってシンジの前に広げた。シンジはそこに破片を入れていく。お互いに無言で作業していたが、最後の破片をとるときになってシンジが短く声を上げた。よく見ると、陶器の破片で指を切ったようだ。少し大きめの切り傷が、人差し指に見て取れた。
「いたっ。」
アスカは何も言わずに新聞紙をゆっくり床に置くと、強引にシンジの手をとって傷から滴る血をなめとって指を口に含んだ。
「アスカッ……?!」
アスカは何も言わず、ただシンジの眼を見て傷口をゆっくりと、念入りになめとった後、絆創膏を取り出して傷口に貼った。
「……あとで、寝る前にあたしの部屋に来て。」
「え?」
「それじゃ。」
短く、おそらく先ほど伝えたかった言葉を押し付けて、アスカは新聞紙をまとめてガムテープで縛った後、足早に自分の部屋へと戻っていった。
片付けが終わって、特に宿題もなければテレビにもさして興味はない。いつもよりも早いが、十分”寝る前”の時間だ。そう判断して、シンジはアスカの部屋の前に立った。目の前には、いつもであればホワイトボードに書き慣れない日本語で勝手に入るな、という言葉が書き連ねられていたはずだったが、今日は何も書いていなかった。二回、ノックして声をかける。
「アスカ、入ってもいいかな?」
「……いいわよ。」
少し間があいて返事が返ってくる。許可が出たので、引き戸を開けると、目の前にアスカが立っていた。驚きたじろいだシンジの奥襟をつかんで、アスカは部屋に引き込み、シンジをベッドへと押し倒した。
「いきなりなにするんだよ!」
そういって抗議し手を動かしてアスカを振り払おうとしたが、アスカの早業によって手を押さえつけられ、またがってきたアスカの体によって足もうまく動かせなくなっている。部屋の暗さに目が慣れてきて、かすかに戸の隙間から差し込む廊下の明かりを頼りにアスカの顔を見上げると、彼女は真剣な顔をしていた。
「アスカ、別に僕は逃げたりしないから、とにかく離してよ。僕も伝えたいことがあるんだ。」
シンジは懇願するが、彼の予想と反してアスカはその願いを受け入れてはくれなかった。
「いや。」
「……えっ? んむぅ!?」
直後、唇を奪われた。押さえつけられたままでどうすることもできずにシンジはただ、触れあった唇が離れるのを待ったが、アスカは以前と違ってただ触れ合わせるだけにとどまらず、より深いつながりを求めて舌を使ってシンジの口を割り開いていく。お互いの唇の端から唾液が滲み、かつて鼻息がこそばゆいと言って鼻をふさいだはずなのに、今はお互いに、むしろアスカのほうが鼻から呼吸して決して口に隙間を作ろうとしなかった。時計もない部屋で、かなり長い間そうしていると、自然と抵抗する力もうせてきて、徐々にシンジはアスカに身を任せ始めた。ぐったりした様子のシンジを見てようやく、アスカは拘束を解いて唇を離す。二人の間には唾液が橋をかけていた。
「はぁ……はぁ……んぅっ……んん……アス、カ……?」
ゆっくり呼吸を落ち着かせてから、アスカに声をかける。呼ばれた少女は荒い息を隠さないまま、唾液で汚れた頬を拭ってから身をかがめてシンジを抱きしめた。耳元でささやくように話し出す。
「ねぇ、シンジ。」
「な、なに?」
「抱いて。」
「……ちょ、ちょっと待ってよ、アスカ。どういうことなんだよ?」
いきなり言われた事があまりにも突拍子もなさ過ぎて、再びシンジに抵抗する力が戻ってくるが、きつく抱きしめられた今ではどうすることもできない。
「あたし、あんたが首を縦に振るまで絶対に離さないわよ。」
「そんなこと言ったって!……アスカ?」
駄々をこねるようにして抱き着いてくるアスカを引きはがそうとしたとき、彼女の背中が力みではない震えを発していることにやっと気づいた。
「アスカ? 泣いてるの?」
耳元が濡れた気配はなかった。だが、シンジのその一言がとどめを刺したようで、アスカは涙を隠すことなく余計にきつく抱きよってくる。
「やだ! お願い! あたしシンジにどこにも行ってほしくないの。」
「あんたがあたしを好きじゃないことは知ってる。でもずっとずっとそばにいてほしいの。」
「だから、だからぁ……」
その先は言葉にならなかった。シンジは、泣きじゃくる彼女をそっと抱きしめ返して、背中をさすった。
「アスカ、僕はどこにも行かないよ。」
「嘘よぉ! そういってあんたもどっかに行っちゃうんだから。あたし、知ってるんだから!」
シンジの肩に顔を押し付けて、ぐりぐりと顔を振るアスカは、シンジが何を言っても聞こうとはしなかった。しばらく、部屋にはアスカの泣く声だけが響いていたが、落ち着いてからアスカはまたシンジに要求する。
「だから、抱いて。大人はそうするのよ。あたしが欲しかったものは、あたしが子供だから失ったの。大人になれば絶対に手放さないでいいもの。」
「だから、お願い。」
「あたしを、抱いてぇ……」
かすれた声でそういってアスカは再び泣き出し、お互いに何も言えずに、部屋には静寂が満たされていく。
そのままアスカは寝てしまったが、シンジはそっと耳元でささやいた。
「大丈夫だよ、アスカ。僕は君のそばにいるから。」
その夜、二人はそのまま互いを抱きしめて眠りについた。
翌朝、アスカが目を覚ました時、シンジは既にベッドから抜け出していた。寝ぼけた様子のアスカが時計を確認すると既に10時を回っていて、携帯にはヒカリから数件の不在着信が届いているようだった。それらを確認しているうちに、ようやく頭がさえてきて、アスカは昨晩の自身の行動と今シンジが隣にいない事実を認識して布団の中で丸まった。
「やっぱり、ダメなんだ。あたしじゃダメなんだ……。」
体中の水分が出きってしまうのではないかと思うほどの大粒の涙を流しながら、アスカは静かに泣いていた。抱いてもらえれば、絶対に離れない強い絆ができると思っていた。そうでなくても、朝一緒に隣にいてくれていればそれでもよかったのに。きっとシンジは今頃、学校へ行ってしまっているのだろう。あたしのことは風邪をひいたとでもごまかすに違いない。そう、アスカは考え、余計に目をはらした。
アスカがしばらくそうして泣いていると、突然かぶっていたタオルをとられた。驚いてはね起きるアスカを、タオルを取ったシンジがそっと抱きしめる。
「おはよう、アスカ。朝ごはんで来てるから、一緒に食べようよ。」
リビングで食事をとる二人の空気は対照的だった。シンジはどこかすっきりとして、少し芯が強くなったように感じる。対してアスカは、驚きと戸惑いでうつむいていて、どんよりとしていた。つけてあったテレビからはいつも見ることのないニュース番組が流れていて、それも違和感でしかなかった。
先に食事をとり終わったシンジは、アスカにそのまま座っているように言って、食器を洗い始める。しかし、アスカは黙って洗い終わった食器を拭いていた。今度は、一枚たりとも食器を割ることはなかったが、アスカは食器を拭き終わるとさっさと自分の部屋へと戻ろうとした。その手をつかみ、後ろからシンジは抱きしめた。
落ち着いてから、昨日とは打って変わって、今度はシンジから声をかけた。
「ねぇ、アスカ。昨日伝えようと思ってたこと、今言ってもいいかな。」
「……なに?」
「ちゃんと目を見て話したい。聞いてくれるかな。」
「…わかった。」
「じゃあ、僕の部屋にいこう。」
そういうと、シンジはアスカの手を取って自分の部屋へと向かう。アスカも黙ってそれについていった。部屋について、二人並んでシンジのベッドに腰かけた。ちょうど、昨日の夜とまるっきり逆の構図になった。違うことと言えば、シンジは強引にアスカを押し倒そうとしていない点と、アスカも特段抵抗をみせていないところだろう。アスカの両手を取って、まっすぐに目を見てシンジが素直な気持ちを伝え始めた。
「こないだアスカに告白されるまで、僕にとってはアスカは大切な仲間だった。」
「もちろん、女の子としてのアスカも知ってる。でも、そのアスカはあんまり意識してなかったんだよ。」
「でも、でもね。アスカが告白してきて、僕にとってアスカがちょっとずつ、大切な仲間でもあるけれど、大切な女の子にもなったんだ。」
「アスカがどれほどつらい思いをしてきたのか、僕は知らない。でも、だからと言って簡単に抱いてほしいとは言わないほうがいい。」
そこで息を短く吸って、アスカの頬に手を当てて、より強いまなざしで見つめて言った。
「これからちょっとずつ、アスカのことをわかっていくから。まだアスカとそういうことはできないし、ちょっと都合がいいかもしれないけど、僕もアスカのことが好きだよ。」
それを聞いて、シンジの眼を見つめながらアスカはまた涙を流し始めた。
「なくほどいやだった?」
「バカぁ、うれしいのよ。」
そのまま、シンジに抱きついたアスカが、涙をぬぐってから離し始めた。
「あんたの言いたいことはわかったわ。」
「うん。それで、返事はもらえるかな?」
「バカ、あたしからこくったんじゃない。」
「そうだね、うん。そうだった。」
そこでお互いに、顔を見合わせて笑う。ひとしきり笑ったあと、アスカが聞いた。
「ねぇ、一つお願い。」
「なにすればいいの?」
「頭を、なでて。」
出来たばかりの恋人の要望を、言葉ではなく行動で、シンジは示した。今度は、シンジが聞いた。
「ねぇ、アスカ? キスしてもいいかな。」
「バカ、聞かないでよ。」
誰にも邪魔されないちいさな部屋で、二人の唇が触れあった。
「ぷっはぁぁぁぁ!!! うまいっ! 冷たいビールはいいわねぇ!」
一週間ぶりにわが家で煽るビールを最大限楽しんでいる様子のミサトに対して、被保護者たる二人の少年少女の眼は厳しい。シンジは食器を洗いながらくぎを刺す。
「ミサトさん、飲みすぎて明日の朝二日酔いで後悔しても知らないですからね!」
「シンジ、もうほっときなさいよ。いつもの事じゃない。」
缶ビールをあおりながら気まずそうにしていたミサトだったが、テレビを見ながら会話しているアスカの横顔が、言葉のとげと対照的にどこか穏やかに微笑んでいるように見えた。
「あんたたち、仲直りしたのねぇ。」
そういわれてアスカは振り向いて、ニッコリと笑って堂々と返してきた。
「何言ってんのよ、あたしとシンジがいつ喧嘩したってぇの?」
それを聞いて、ミサトはますます不思議な顔をするばかりだった。
「リツコ! まさかあんた、加持がサボってたこと知ってたんじゃないでしょうね?!」
出張終了から数日後、うっかりしゃべってしまったシンジによって加持が実は一週間行方をくらませていた事を知ったミサトは、こめかみに血管を浮かせて鼻息を荒くしている。リツコは涼しい顔でのたまう。
「あら、てっきりあなたも知ってるものだと思ったわ。」
「あら、じゃないわよ! 今回の出張の間ひたすら仕事仕事でそんなこと確認する暇なかったのよ!」
まったく、あのバカ! と荒く肩で息をしながらぶつぶつつぶやく。飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのこと、のんきに加持が休憩室にやってきた。
「よぉ、葛城。随分怒ってるじゃないか。何かあったのか?」
あまりにのんきな姿に怒る気にもなれず、あきれた様子でミサトは返した。
「どうしたじゃないわよ、まったく……。んで、あんたこの一週間どこに行ってたのよ。」
「さあな。ちょっとこれはしゃべれないことになってるんだ。守秘義務ってやつさ。」
むっとした様子のミサトをなだめるように、加持は続ける。
「まぁ、そう怒るなって。特に問題は起きてないんだろう?」
「もし起きてたらどうしてくれんのよ。ま、確かにあの子たちも気まずい感じもなくなったし、むしろ良くなってることがちょーっちむかつくんだけどね。」
加持は笑いながら、ぽつりと言った。
「二人とも幸せそうなんだろう? 別にまずいことは起きちゃいないんだから大丈夫さ。」
夕陽に照らされた道を、アスカとシンジは歩いていた。あの日と同じように、年中鳴くようになったセミが五月蠅い。
「トウジがさ、洞木さんと喧嘩したんだって。」
「あたしもヒカリから聞いたわ。でも、すぐに仲直りできたみたい。」
「僕たちも喧嘩するのかな。」
「いつもしてたじゃない。これからだってするわよ。それでも今一緒にいるんだから、きっと大丈夫よ。」
「うん、そうだね。」
そこまで話して、アスカが立ち止まる。今度はシンジもすぐに気が付いて、アスカを振り返った。
「あの時あたしが言ったこと、憶えてる?」
「ごめん、あんまりびっくりしちゃったから、憶えてないや。」
「”あたし、絶対あんたのことあきらめないから。”って。そういったわ。」
「ああ、確かにそうだったかもしれない。」
その時アスカがすっと右手を伸ばして、シンジのおでこをつついた。キョトンとするシンジに向かって、アスカは言った。
「やっぱり、私の言ったとおりになったでしょ?」
その勝ち誇ったような、幸せな笑顔は夕陽に照らされ、美しく映えた。その笑顔にしばらく見とれた後、シンジは微笑んだ。
終劇